真昼の悪魔第3回感想|葉子の過去


真昼の悪魔第3回感想|このドラマはやはり面白い!

真昼の悪魔第3回感想田中麗奈真昼の悪魔第3回感想についてこの記事をご覧いただきありがとうございます。

人生悩み尽きざるなりサイト管理人の飛田ポテトと申します。

この記事では第3回放送が昨夜終了しましたので真昼の悪魔の感想から

  • 真昼の悪魔第3回感想|葉子の秘密
  • 真昼の悪魔第3回感想|葉子と大塚の歪な恋愛関係
  • 真昼の悪魔第3回感想|葉子の父に欠落した物とは?

以上の項目に沿って実際に真昼の悪魔第3話を見た感想をご紹介させて頂きます。

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真昼の悪魔第3回感想|葉子の秘密

真昼の悪魔第3回感想田中麗奈『真昼の悪魔』第3回感想

田中麗奈さん主演の『真昼の悪魔』第3回が放送されましたね。

今回は初めて葉子の過去について描かれていました。

葉子は

『他者を傷つける事に心が痛まない』

という性質は幼少の頃から自覚があったようです。

しかし、それを両親に悟られてはならないと思い、ずっとそれを隠して生きていたようですが、両親は薄々気づいていたようです。

真昼の悪魔第3回感想|葉子と大塚の歪な恋愛関係

真昼の悪魔第3回感想田中麗奈また、葉子を深く愛して猛烈にアタックする大塚との関係にも変化が現れました。

大塚を『世間知らずのお坊ちゃん』扱いする原田龍二さん演じる実業家の宮島が登場。

大塚は宮島とトラブルを起こし、それが世間からバッシングされますが、葉子は大塚の為にこの宮島を陥れます。

大塚は葉子のその行動を嬉しく思い、その行動の理由を葉子に尋ねます。

葉子は

『私に病院を買ってくれる人だから』

と答えますが、大塚はそれを受け入れます。

大塚は純粋に異性として葉子を愛している事に変わりはないと思いますが、『目的』の為に手段を選ばず、

『我慢する事なんてない』

と口にする葉子の願望を達成する為には他者の事など意に介さず、迷いのない葉子の精神に憧れを抱いているようにも見えます。

おそらく大塚は

『いい子であらねばならない』

と、自分自身の本当の願望を我慢して我慢して生きてきたのでしょう。

葉子がそれを見抜いているのかはわかりませんが、私の目にはそう見えました。

真昼の悪魔第3回感想|葉子の父に欠落した物とは?

真昼の悪魔第3回感想田中麗奈そして、葉子と父親の関係。

今回、葉子の母親の命日の夜、結果的に父親は自宅で倒れて葉子の病院に担ぎ込まれ、亡くなってしまいました。

しかしその直前、葉子は父親の為に作った野菜スープになんらかの薬品を混ぜていました。

それは、葉子が幼少の頃既に亡くなっている母親の命日に人生を終えたいという父親の言葉を実現させようとする行動だったようです。

それが葉子の父親に対する葉子なりの『優しさ』であるように私には感じられました。

しかし、父親はそのスープを飲む前に倒れ、病院に担ぎ込まれました。

葉子はベッドで眠っている父親に付き添い、目を覚ました父親と対話します。

その対話で、葉子は幼少から隠していた自分の悪魔的な部分を告白します。

葉子は、私が良心の呵責を感じるくらい叱って欲しいと父親にうったえます

葉子は、人間の『良心』を感じたいのです。

他人の痛みを感じ、他人に優しくできるという事に対して、強く激しい憧れを抱いているのです。

しかし、父親は

『お前は今のままでいい』

と言います。

この言葉は葉子にとっては残酷極まりない言葉であると言えます。

葉子は変わりたい、いや、自分にも『良心』はあるはずだという微かな期待を抱いていたのだと思います。

それを父親に呼び起こして欲しかった。

しかし、

『お前は今のままでいい』

という言葉は、その期待の可能性を完全に否定されてしまったと葉子は感じたようです。

あの愕然とした表情は私にはそう見えました。

それを口にした父親の心理を考えてみると、

『自分にはどうしてあげる事もできない』

と考えたのか、あるいは

『そう生まれたのだから、思うままに生きて欲しい』

という思いからか、またあるいは、

『お前は十分に優しい』

という思いだったのかも知れません。

または、その全ての思いが短い言葉に込められていたのか…

父親は大学教授だったのですが、自分はその人生に何かを残したという実感がなかったようです。

それにより、自分の人生が空虚であるように感じ、『生』に意味を見出せない状態であったように見えます。

端から見れば父親は大学教授という社会的に高い地位につき、結婚して娘を残している時点で十分に何かを残しているはずです。

何も残せなかったというのはただの思い込みであるようにも思います。

しかし、父親もまた、葉子とは形が違いますが、人間が幸福を感じる為に必要な何かが欠落している人間であったのかも知れません。

その欠落した何かが『妻』であった可能性があります。

父親は、『妻』が幸福を感じていると自分が感じる事で初めて『幸福』を感じられるという、いわば『間接的幸福感』によって生きる気力を得ていたのかも知れませんね。

葉子はその対話の後、何かをして、父親は生涯を終えました。

その後、葉子が自宅で父親が座っていた席で煎餅を齧りながら、父親が好きだった芸人をテレビで見て笑っているシーンが流れました。

葉子は父親の人生を終わらせたように描かれていますが、真偽はわかりません。

これは葉子の悪魔的な部分を強調させる演出であるようにも感じますが、私には父親を感じていたいという行動であるように見えました。

葉子は、自分の悪魔的な部分を受け入れ難いものであると感じているように私は思います。

葉子が自分の悪魔的な部分に拘り続ける事は、逆に高い倫理観を持っているからだと思うのは私だけでしょうか?

今後の展開を楽しみにしたいと思います。

また第4回でお会い致しましょう。

この記事でご紹介させて頂く内容は以上となります。

最後までお読み頂き、誠にありがとうございました。

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